最後の汽笛〜トワイライト最終列車
2016年 03月 22日
もう二度と戻らぬ旅に出る。

泣いても騒いでも、3月22日大阪駅に到着するトワイライトエクスプレス。これが最後の運行。昨年3月、札幌行を終了してからは、大阪〜下関で西日本管内の団体列車として運行、従来にない最高峰のサービスを提供してきた。
午後から休みを入れて最後のお出迎えに行くことに。
時間の関係で加古川へ。加古川駅版まねき(木八)で遅い昼食。今年も登場、期間限定「とり天えきそば」

早く食べないと列車が来る…
定時に加古川駅通過。


後続の新快速で追跡、追い越し。
喧騒の中の大阪駅。顔見知りの皆様に再会し到着を迎える。人混みを避け、食堂車付近で待機。
たくさんの人に迎えられ到着。
食堂車の歴史も一旦幕を閉じる。

山陽本線を走るトワイライト食堂車に、明治の鉄道黎明期、日本で最初に山陽鉄道(現在の山陽本線)が登場させた食堂車を、いつの間にか重ね合わせていた。
普段ならクルーの皆さんはすぐに荷物と共に引き揚げるが、今日はホームで待機。
いよいよ回送列車として車庫に向かう。

先頭付近では式典が催されていた。
「ピョーッ」長い汽笛と共に、ゆっくり動き出す。シャッター音と惜別の声が響く。
式典を終え、退席するクルーの方が握手してくださった。
静まりかえったホームで、皆さんと思い出話をしてから、夕暮れの大阪駅をあとにした。
混乱もなく運行が終了し、安堵する。翌日の新聞によると約千人が集まったという。
待ち遠しかった土曜日の午後。まだ今週も何処かの駅に行けば、誰かに会えそうな気がする…
いちばん寂しいのは、運行終了と同時に誰にも会えなくなること。小さな駅も日常を取り戻す。
桜の便りと共に、トワイライトエクスプレスは思い出の中へと走り去っていった。
モノは壊れたり失くしたりするが、思い出は決して消えることがない。
私は蒸気機関車の世代ではないが、蒸機廃止の40年前、先輩方は同じような想いを抱いたのかもしれない。
線路があるかぎり、新しい楽しみが生まれることでしょう。

泣いても騒いでも、3月22日大阪駅に到着するトワイライトエクスプレス。これが最後の運行。昨年3月、札幌行を終了してからは、大阪〜下関で西日本管内の団体列車として運行、従来にない最高峰のサービスを提供してきた。
午後から休みを入れて最後のお出迎えに行くことに。
時間の関係で加古川へ。加古川駅版まねき(木八)で遅い昼食。今年も登場、期間限定「とり天えきそば」

早く食べないと列車が来る…
定時に加古川駅通過。


後続の新快速で追跡、追い越し。
喧騒の中の大阪駅。顔見知りの皆様に再会し到着を迎える。人混みを避け、食堂車付近で待機。
たくさんの人に迎えられ到着。
食堂車の歴史も一旦幕を閉じる。

山陽本線を走るトワイライト食堂車に、明治の鉄道黎明期、日本で最初に山陽鉄道(現在の山陽本線)が登場させた食堂車を、いつの間にか重ね合わせていた。
普段ならクルーの皆さんはすぐに荷物と共に引き揚げるが、今日はホームで待機。
いよいよ回送列車として車庫に向かう。

先頭付近では式典が催されていた。
「ピョーッ」長い汽笛と共に、ゆっくり動き出す。シャッター音と惜別の声が響く。
式典を終え、退席するクルーの方が握手してくださった。
静まりかえったホームで、皆さんと思い出話をしてから、夕暮れの大阪駅をあとにした。
混乱もなく運行が終了し、安堵する。翌日の新聞によると約千人が集まったという。
待ち遠しかった土曜日の午後。まだ今週も何処かの駅に行けば、誰かに会えそうな気がする…
いちばん寂しいのは、運行終了と同時に誰にも会えなくなること。小さな駅も日常を取り戻す。
桜の便りと共に、トワイライトエクスプレスは思い出の中へと走り去っていった。
モノは壊れたり失くしたりするが、思い出は決して消えることがない。
私は蒸気機関車の世代ではないが、蒸機廃止の40年前、先輩方は同じような想いを抱いたのかもしれない。
線路があるかぎり、新しい楽しみが生まれることでしょう。
by zakkan-daily
| 2016-03-22 23:13
| 鉄道
|
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