エースはそこにいた!
2015年 07月 20日
何故か山形新幹線「つばさ」 今はなき400系新幹線・しかも6両の頃。(1993年・米沢駅にて)
山形にまつわるお話です。
今から30年前の甲子園。
1985年夏。
東海大山形×PL学園 をご存じだろうか。
清原、桑田を擁するPL学園が 29-7 で圧勝したあの試合を。
実は、30年前、PLに対峙した東海大山形のピッチャーFさんは、
「私が通っている床屋の主人である」
ことが判明した。
彼は姫路出身で野球特待生として東海大山形高校へ進学、甲子園へ勝ち進んだ。
現在は家業を継いで、姫路市近郊の街で床屋を営んでいる。
PLの圧勝が注目された試合だが、東海大山形のエースは、試合前から肘を負傷しており、満身創痍で臨んだPL戦。試合後、骨折も判明したという。
それでも最後まで投げ切った、物凄い精神力だ。
試合中に状況を察した桑田が彼を気遣うくらいだったという。
どんな試合でも失点を許さないと言われるPLから7点を奪った東海大山形。
のちに、この敗北について山形県議会では物議を醸すことになった。
スポーツに勝敗は決まり事。18歳の少年の心中を察すると、大人都合の議論は心苦しくなる。
野球漫画「H2」で校長先生の野球嫌いは、若いころに大敗を喫したという理由だが、このPL戦が元ネタになっているらしい?
今日、髪を切りに行こうと思ったら、休みでガッカリ。
長く通っているけど、そんな話はつゆ知らず・・。
近代アメリカの野球ポスターなどが店内にある理由が分かった。
私は店内であんまり話さないので、知る由もなかったが、聞いてみようかな。
実は、こんな書籍にも寄稿されている。甲子園球児のその後。
店に電話しようとして、あれこれ検索した結果、今回の事実が判明した。
30年前のエースは未来を見据えて、毎日、鋏で「勝負」を決めているようだ。
清原・桑田よりも、ずっと親しみを感じてしまう。
エースは近くにいる!
あらためて、ヘアーサロン「ACE」へ行きましょう!
山形にまつわるお話です。
今から30年前の甲子園。
1985年夏。
東海大山形×PL学園 をご存じだろうか。
清原、桑田を擁するPL学園が 29-7 で圧勝したあの試合を。
実は、30年前、PLに対峙した東海大山形のピッチャーFさんは、
「私が通っている床屋の主人である」
ことが判明した。
彼は姫路出身で野球特待生として東海大山形高校へ進学、甲子園へ勝ち進んだ。
現在は家業を継いで、姫路市近郊の街で床屋を営んでいる。
PLの圧勝が注目された試合だが、東海大山形のエースは、試合前から肘を負傷しており、満身創痍で臨んだPL戦。試合後、骨折も判明したという。
それでも最後まで投げ切った、物凄い精神力だ。
試合中に状況を察した桑田が彼を気遣うくらいだったという。
どんな試合でも失点を許さないと言われるPLから7点を奪った東海大山形。
のちに、この敗北について山形県議会では物議を醸すことになった。
スポーツに勝敗は決まり事。18歳の少年の心中を察すると、大人都合の議論は心苦しくなる。
野球漫画「H2」で校長先生の野球嫌いは、若いころに大敗を喫したという理由だが、このPL戦が元ネタになっているらしい?
今日、髪を切りに行こうと思ったら、休みでガッカリ。
長く通っているけど、そんな話はつゆ知らず・・。
近代アメリカの野球ポスターなどが店内にある理由が分かった。
私は店内であんまり話さないので、知る由もなかったが、聞いてみようかな。
実は、こんな書籍にも寄稿されている。甲子園球児のその後。
店に電話しようとして、あれこれ検索した結果、今回の事実が判明した。
30年前のエースは未来を見据えて、毎日、鋏で「勝負」を決めているようだ。
清原・桑田よりも、ずっと親しみを感じてしまう。
エースは近くにいる!
あらためて、ヘアーサロン「ACE」へ行きましょう!
by zakkan-daily
| 2015-07-20 12:07
| 雑感